i-modellers レオパルド先行量産型とバッチ3量産型

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レオパルド0(ゼロ)シリーズ 先行量産型とレオパルド バッチ3 量産型

制作・写真・文章 スダコフツ

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<はじめに>

 模型の大戦中のドイツ戦車は大変人気がありますが、現用の戦車であるレオパルドはそれほどでもないようです。スマートすぎるのか派手な戦歴がないためなのか原因はわかりません。しかしレオパルドはヨーロッパにおいてはほとんどの国に採用され、事実上標準戦車になった感があります。これはやはり優れた戦車であることを各国が認めているためで、ドイツは第2次大戦で敗戦国となりブランクがあったとはいえ戦時中と同様、戦後も世界をリードする技術をもった国であることを示していると思います。
私にとってパンターやタイガーの末裔であるレオパルドがどのように開発され、いかに変化していったかは大変興味深いテーマです。そこで今回このレオパルドシリーズの変遷を模型で再現しようと思います。

<レオパルドの開発経緯>

 1950年代後半フランスとの間に標準戦車構想が生まれたため、西ドイツではA(ポルシェ、アトラスMAK、ユンク、ルーター&ヨルダン)、B(ルーシュタール、ラインシュタール・ハノマーク、ラインシュタール・ヘンシェル)、C(C.F.Wヴォルクバルド)3つのグループが新型戦車を競作することとなりました。ただし砲塔はヴェグマン社とラインメタル社が製作することになっていました。前者はAグループ、後者はBグループにそれぞれ搭載されています。結果採用されたAグループ案のものはトーションバーサスペンションのオーソドックスな内容の車両でした。これに対しBグループ案は油気圧サスペンション等走行装置に新機軸が盛り込まれているためいろいろと問題を抱えており、これがアダになってしまったようです。ただドイツは油気圧サスペンションに関心があったとみえ、その後も実験を続けkpz70でも試しています。C案は実験車的な意味合いが強く、早々に開発が中止されています。
その後AグループのプロトタイプⅡA(第2次試作車)が1962年5月より26輌生産され実戦部隊で評価を受けました。26輌の中にはBグループの車両と同じラインメタル社の砲塔を搭載したものもあったようです。結局車両の走行性能が重要視されたのでしょう。革新的だったBグループより堅実な設計の車両をテストしてひたすら完成度を追及したように思えます。 この結果をうけさらなる改良が加えられここに至りようやくレオパルドの形態が完成になりました。これが先行量産型の0シリーズで50輌が生産されました。先行量産型のくせにキングタイガーのポルシェタイプくらい作っているのです。0シリーズの50輌も部隊配備がおこなわれ運用されました。そして1963年10月正式に「レオパルド」の命名を受けています。
更なる改良を受け、1965年から量産車の生産が開始されました。

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<レオパルドの分類> 先行量産型からバッチ5まで

レオパルド0(ゼロ)シリーズ 先行量産型/ 0-serie /0-series

 先ほども述べたように、50輌製作されました。タミヤのレオパルド1の説明書にはなぜかこの車両の写真が6枚中4枚もついています。Aグループの試作車両よりさらに大きく変化して後の量産型にほぼ近い形態となっています。ただ細部をみていくと量産車とかなり異なった部位もあり興味深い車両です。

レオパルド 量産型/ Produktion /Production

バッチ1 / 1.Baulous / 1st Batch

最初の量産型で、1965年9月から1966年7月まで400輌生産されました。

バッチ2/ 2.Baulous / 2st Batch

1966年7月から1967年7月まで600輌生産されました。
バッチ1との外見上の違いは
車体後部の電話ボックスが角型から丸型になった。
車体上部にターレットリングを守る跳弾板がついた。
砲塔後端底部に雨どいがついた。
等です。

バッチ3 /3.Baulous / 3st Batch

 1967年7月から1968年8月まで484輌生産されました。
バッチ2との外見上の違いは
車体4箇所に牽引用のフックがつけられました。

バッチ4/4.Baulous / 4st Batch

 1968年8月から1970年2月まで361輌生産されました。
外見上の変化は車体側面後部の冷却グリルの格子の形態が変わっているため識別は容易です。

レオパルドA1

 以上のバッチ1から4は1972年から改修を受けレオパルドA1となっています。
主砲サーマルスリーブの導入
サイドスカートの装着
新型キャタピラD640Aの導入
滑り止めグローサーを車体前面に装着(随時?)
などの改修を受けました
後に増加装甲をつけて、レオパルドA1A1に改修され、またその後も改修を受けてレオパルドA5となります。結果このシリーズは、結果的に2003年ころまで運用されています。

バッチ5 前期型 レオパルドA2 / Leopard A2 5.Boulous /Leopard A2 5th Batch

 A1の改良点を最初から盛り込んで生産された車輌です。1972年4月から1973年5月まで232輌生産されました。
 A1の改良点のほか、砲塔の装甲が増厚されています。A1と区別しにくいのですが、測遠機のカバーの形態がA1以前のものより円筒に近い形態をしています。

バッチ5後期型 レオパルドA3 / Leopard A3 5.Boulous /Leopard A3 5th Batch

 砲塔の形状が一新して、スペースド・アーマーが用いられているため識別は容易です。1973年5月から11月まで110輌が生産されました。砲塔以外はA2と特に相違はありません。1/35ではかつてニチモがA3をだしていました。

バッチ6 レオパルドA4 / Leopard A4 6.Boulous /Leopard A4 6th Batch

A3 の改良型で1974年8月から1976年3月まで250輌生産されました。新しい射撃統制装置が搭載されており外見的は車長用ペリスコープが変化しているので、識別は容易です。タミヤの1/16をはじめ各スケールでキット化されています。1/35ではタミヤ、イタレリかつてエレールもあったような。しかし実車は、ドイツ本国では1990年頃までに退役したようです。

 さて「レオパルド1」という名称ですが、後にレオパルド2の開発がはじまるので、ある時期を境に1と2を区別するというか名称が変更されているものだと思っていました。とにかく最初はただの「レオパルド」であったわけです。ところが洋書を含め、いろいろな本を見ていても急に「レオパルド1」の名称がいつの間にか出てきます。どの文献もこの名称に関してはあいまいな感じでした。もしかしてどこかで読み落としたかもしれないと困っていたところ、モデルアート1978年10月号に「レオパルド1という名称は、公式に西ドイツでは用いられていない。すなわちレオパルド戦闘戦車であり、その改良型はA1型、A2型、A3型、A4型である。ただし現在ではレオパルド2型の開発により、これと区別するために、非公式であるが、レオパルド1という名称を用いた。」とありました。したがってこの連載ではとりあえずこのままレオパルドと呼ぶことにします。今更なのですが、田宮のNo.64はただの「レオパルド中戦車」となっています。発売された時期が1969年(!)なのでそのままなのですね。またNo.112は「レオパルド1A4」ではなく「レオパルドA4」となっています。やはりこれが正式名称なのでしょう。

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