i-modellers 2号フェアディナント ドラゴン 1/35

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ニコポリの東 1943年12月
  フェアディナント ドラゴン 1/35

制作・写真・文章 moppu

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コンセプト

p1.jpgp1.jpg「フェアディナント」といえば、クルスク戦、というイメージがもちろん強いですが、生産台数僅かに90台というこの巨大で過重な対戦車自走砲は実に1945年春まで主には東部戦線の激しい後退戦を生き残り、配備された第653重戦車駆逐大隊の兵士には長く「フェアディナントおやじ」と親しみを込めて愛称されました。
東部戦線中央軍集団の後背に危機がせまりツィタデル作戦が終了した、クルスクから撤退するドイツ軍と反抗ソ連軍の競争になった43年夏から秋にかけて、南部戦区全域でドイツ軍は質量、戦術ともに既に独ソ戦初期の面影を一掃したソ連軍に追いまくられることになりました。
秋から冬にはドイツ軍はドニエプル川のラインからも撤退を余儀なくされることになります。
クルスク戦後、43年の秋から冬にかけて、オリョールからカラチョフ、ブリャンスク、サポロジェ、ニコポリ…、フェアディナント部隊のたどった道筋はそのまま後退するドイツ軍の激戦の墓標に重なります。

i-modellers創刊第2号の特集は「垂直装甲は漢の装甲」、被弾経始に優れた傾斜装甲をまとった戦争後半のパンターやケーニヒスティーガーがいわば外来の戦車設計思想に影響を受けたものであるとすれば、ドイツ装甲部隊のオリジナルな戦車設計思想を具現したティーガー1型までの戦車は次第により厚い装甲を身にまとうことにはなったものの、無骨とも言えるスマートさのかけらもないその姿にはある意味男らしさ、力強さが感じられる、よく試作車両や初期のタイプにこそ設計者の思惑やオリジナリティが見えることを考え合わせれば、これぞ戦車、という魅力にあふれた、純国産の車両たちを製作してみます。

フェアディナントは実は戦闘室の装甲は前面を除けば傾斜していて、創刊号に続いて半ば反則気味の(!)担当となりましたが、その設計思想はあくまで重装甲により敵の徹甲弾を跳ね返し、長射程の大口径砲で敵戦車をアウトレンジする、というものであり(この辺り意に反してちょっと男らしくない・・・笑)、独特の駆動機構とも相まってドイツ戦車らしさを感じさせる車両であるといえるのではないでしょうか。
フェアディナントは後に戦訓を取り入れ大幅な改修を受けることになります。「エレファント」と改名されたその姿よりも「フェアディナント」としてウクライナの平原に立ったその姿こそ「垂直装甲」にふさわしいと考えました。
特集の作例では1943年12月、ニコポリの戦線で押し寄せるソ連戦車の大群を相手に火消しに走り回ったフェアディナントの姿を再現してみたいと思います。

実車解説

p2.jpgp2.jpgSd.Kfz.184 フェアディナント

ドイツ車両ファンには大変人気のある車両でありますが、フェアディナント、といいエレファントといい、実は同じ車両のことなのですが、好き者以外には詳細は知られていない観もあります(あるかな?)ので、実車のおさらいを少ししてみます。
(余談ですが、模型製作と「考証」の係わりについてはわたしは考証はほどほど、キットを作ることを楽しもう、というスタンスですが、実はフェアディナント=エレファント=第653重戦車駆逐大隊には興味があり、模型製作の個人的なながーいテーマなのです、こういうのもまた模型製作の愉しみです)

VK4501(P)として、フェアディナント・ポルシェ博士の設計した先進的な車両はティーガー1型としての採用は見送られ、ヘンシェルタイプ(のちティーガー1型として量産された誰もが知っているタイプ)との競争には敗れてしまいました。
1942年8月にはVK4501(P)の生産担当であったシュタイヤー・ダイムラー・プーフ・ヴェルク・ニーベルンゲン社も生産を中止することになりました。
しかしながら1942年9月22日、いわゆる(P)ティーガーの一部を正面装甲200mmの突撃砲に改造する案が決定され、その時点で既にクルップ社が製造していた100両分の(P)ティーガー用装甲板を利用して90両の突撃砲が生産されることとなります。

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主兵装:L71/88mmPak43(8.8cmPak43/2)
口径8.8cm
砲身長6,300mm
砲身対口径71
火砲総重量2,200kg
弾薬Pz.Gr.39/1被帽徹甲弾
  Spgr.L/47榴弾
  Gr.39HL対戦車榴弾
  Pz.Gr.40/43合成硬性徹甲弾

車体製作:アンゼンヴェルケ・オーバードナウ社(リンツ)
組み立て工場:ニーベルンゲンヴェアク(ザンクトヴァレンティーン)
設計図面:アルトメルキシェ・ケッテンヴェアク(アルケット社)
1942年11月30日、アルケット社は新型突撃砲の図面設計を完了。

オリジナルの(P)ティーガーは旋回式の砲塔が10t、総重量は59t。
1942年12月11日報告された「フェアディナント」の重量諸元は
(P)ティーガーの車体部分49tに上部車体15t、砲(防盾・砲架含む)3.5t、増加正面装甲2.13t、後壁補強用装甲1.5t、合計72t
1942年12月28日正確な計算と重量軽減が図られた結果
車体(含燃料1,000L)46.48t、上部車体13.55t、砲3.53t、増加正面装甲2.13t、弾薬と収納架1.25t、乗員・工具・予備部品1.63t、で戦闘重量は68.57t。

当時の国防軍の架橋機材の耐荷重は55tであり、そもそも走行装置の設計(VK4501(P)用)自体は45tでした。

p3.jpgp3.jpg1943年5月最後の生産車両としてラインオフしたNr.150100のフェアディナント(サイバーホビー1/35) 防盾がないなど生産直後の様子を再現しています。 車体には記念する工員らによって祝福の言葉や鼻向けの飾りが施されました。 その後この車両は653大隊の234号車となり、クルスク戦後も生存していたことが写真から分かっていますが、 エレファントに改修された時点で残っていたか、またその後の戦歴は今のところ不明です。この重い車両を動かす動力はポルシェ博士が予定した空冷エンジンの採用は見送られ、マイバッハHL120TRM×2が搭載されることになります。
車体中央に置かれた二つの発動機から取り出された動力はジーメンス・シュッケルト500ボルト-アンペア発電機から230kw電動機2機を介して減速機に伝えられる独自の設計となっています。
出力効率は最悪といってよく、頻発する発電機の故障、発火などのトラブルが配備部隊を悩ませることになります。

一般にフェアディナント・エレファントは失敗作ないしはせいぜいがポルシェ博士の道楽とヒトラーのひいきのひきたおしの産物と揶揄されますが、主砲の威力、破壊力、充分な整備のなされている状態での部隊評価はそこまで酷くなかったようです。
部隊はよく改良を要望し、常に稼働状態を保つべく、この扱いにくい車両を大切に整備した様子がうかがわれます、もっとも初陣から長くフェアディナントを装備して戦った唯一の部隊である第653重戦車駆逐大隊の整備班は現地改修のT34対空戦車を作ってしまったり、4号戦車の砲塔をベルゲパンターに搭載してみたり、と一筋縄ではいかない強者であったことが幸いしたとはいえるかもしれませんね。
ポルシェ型走行装置はのちヤークトティーガーの試作場面でも再登場しますが、フェアディナントを組み立てたニーベルンゲンヴェアクでは慣れているポルシェ型で何がいけないんだ?ということなのか、ポルシェ型ヤークトティーガーを指示する意見が根強かったのも面白いです。ポルシェ型走行装置は最終的にはまたもヘンシェル型に破れることになるのですが…

フェアディナントの最終諸元をまとめておきます。

全長8,140mm(砲を除いた場合6,970mm)
全幅3,380mm
全高2,970mm
最低地上高500mm
履帯幅640mm
接地圧1.23kg/cm2
主砲8.8cmKwK43/2
弾薬26(砲弾架)+14(弾薬箱のまま)/ただし戦闘時は90発程度を詰め込んだ!
搭載武器MG34×1(600発)MP38/40×2(384発×2)
乗員6名(車長、操縦手、無線手、砲手、装填手×2)
照準器Sfl.ZF1a
砲隊境SF14Z
無線機FuG.5、FuG.2(指揮車はFuG.8を追加装備、戦闘室後面にアンテナ追加)

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