i-modellers 2号フェアディナント ドラゴン 1/35

ニコポリの東 1943年12月
  フェアディナント ドラゴン 1/35

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p4.jpgp4.jpgフェアディナントの最初の姿を残す貴重なキットでしたが、白箱で再販のないのがさみしいです。 赤い塗装は迷彩塗装を施す前のプライマーですが、砲身や転輪はすでにダークイエローに塗装されて組みあがっていました。フェアディナント(Ferdinand)の名称
1942年12月29日フェアディナントと命名
(従前は長8.8cm付突撃砲、8.8cm加農突撃砲、ティーガー突撃砲など)
ちなみに「エレファント(Elefant)」と名称が変更になったのは大改修の際、1944年2月28日付陸軍参謀本部/編制部によります。

生産は1942年11月から。
ニーベルンゲンヴェアクは車体90両分を受注しました(車台番号Nr.150011~150100)
当初車体はニーベルンゲンヴェアクで、上部組立はアルケットで、と予定されていましたが、アルケット社へわざわざ車体を搬送する煩雑をさけ、組立はニーベルンゲンヴェアクで行われました。
1943年2月から下部車体の製造に着手、43年4月23日最後の車体が完成し、5月12日最後の完成車両を送り出しています。
いうまでもなく、ツィタデル作戦開始に間に合わせるため(結果的に作戦開始は43年7月5日)に製造が急がれたのですね。

工場から完成直後に受け渡された車両の特徴で一見してわかるのは主砲の球形防盾の前面に補助装甲板の装備がなく、防盾がむき出しになっていることでです。
この防盾(装甲板)は43年5月6日クルップ社へ90両分の装甲板が発注され、5月13日部隊へ直接納品されています。
従って、工場から出る車列のフェアディナントにはこの装甲板がなく、クルスク戦時の写真には装甲板が付いている、ということになります(ちなみに工場から出る車両はすべてダークイエローの単色塗装を施されています)。
この装甲板はその後向きが逆に取り付けられるようになってもいるので、製作の際には時期によってポイントになります。

完成したフェアディナントは43年4月30両、5月60両の陸軍兵器局検査官の検収があります。
この他に1両が試験用として陸軍調達局に納められた、との記載もありますが、フェアディナントの場合、記録にみえる数量をまとめると必ずしも90両とならない場合があり、困惑します。
記録には43年4月29両部隊着、5月56両、6月初め残りの6両が到着した、という記載もありますがこれ、足していくと91両になるのですね。91両目の1両はどこから来てどこへ行ったのだろう?

ともあれ、90両(?)のフェアディナントは調達局で弾薬、工具、補修部品の支給を受け、さらに無線機を搭載、雑音防止処理(がなにを意味するのか不明ですが)を施され、やっと部隊へ配備されました。

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p5.jpgp5.jpg1944年1月から生き残っていたフェアディナントは大幅な改修が施され、エレファントとして生まれ変わりました。 ドラゴンのプレミアムエディションのエレファント、フェンダーなどにエッチングパーツが同梱されているキット内容は フェアディナントのプレミアム版と同じ。 ツィメリットコーティングはエポキシパテとローラーを使用して製作しました。フェアディナントを装備した部隊は新編の第656重戦車駆逐連隊でした。
麾下には
第653重戦車駆逐大隊(第1大隊)
第654重戦車駆逐大隊(第2大隊)
第216突撃戦車大隊
第313無線操縦戦車中隊
第314無線操縦戦車中隊
がクルスク戦時の戦列です。

いずれも模型的には興味深い部隊が並んでいます。
654大隊はクルスク戦後装備を653大隊へ残し、ヤークトパンターへ改編するため、本国へ戻ります、部隊はこの処置を大隊にとっては懲罰的と感じたようですが、その後はヤークトパンターを定数配備した僅かな部隊のひとつとして、活躍することになります。
216突撃戦車大隊はこれも新装備であったブルムベア装備の当時唯一の部隊として、後も653大隊と行動を共にします、。
313、314無線操縦戦車中隊はそれぞれ36両のボルクヴァルト4(Sd.Kfz.3091)を装備し、それぞれ3号無線誘導戦車、3号突撃砲によって支援任務にあたることになっていましたが、クルスク戦時にはフェアディナントの多くが地雷によって行動を止められ、名をあげたとは言い難い印象がありますね。

クルスク戦緒戦時のフェアディナント部隊は
連隊本部に2号戦車3両、42口径5cm砲装備3号戦車2両、同指揮戦車3両
大隊それぞれに45両ずつのフェアディナント
と42口径5cm砲装備3号戦車5両、同指揮戦車1両、3号戦車車台弾薬運搬車3両、ベルゲパンター1両、18t牽引車(Sd.Kfz.9)15両、8t牽引車(Sd.kfz.7)6両、などがそれぞれ配備されていました。

初陣となったクルスク戦は文字通りパンツァーカイルとして北部戦区、モーデル麾下の第9軍でポヌィリからオルホウァトカへ侵攻する86、292歩兵師団、101装甲擲弾兵連隊などを支援し、前線の突破を期待されましたが、結果的には予定通りの進出を果たすことはできませんでした。
戦闘記録に依ればやはり敵によって撃破された車両よりも故障、足回りの損害によって行動不能になり、回収ができなかった損害が多かったようです。

p6.jpgp6.jpg)フェアディナント、とエレファント。 フェアディナントからエレファントへの道程は大まかに生産直後からクルスク戦直後まで、ドニエプロペトロフスクでの 改修後からエレファントへの大改修まで、エレファントとして再生されてから、の3つの時期に分類できます。 今回製作するのは上の2つの車両の中間に位置するドニエプロペトロフスクでの改修後のタイプとなります。対歩兵用軽火器を持たなかったこと(ピストルポートは小さすぎて照準できなかったらしく、のち、大改修時に車体前面にMG34がボールマウント装備されることになります)から歩兵の肉薄攻撃にさらされ、発電機の発火、足回りの脆弱(履帯の抱える問題と機動性の無さ)が弱点となり、期待通りの活躍とはいかなかった、とみるのが一般的ですが、戦闘記録には明確ではありませんで(公式には認めたくないかも・・・)、運用上の問題や訓練期間の充分でなかったこともうかがわれます。
このとき全損した車両には野砲の、上方からの着弾がエンジンルームを貫通して破壊されるなどの弱点も明かとなり、のちやはり改善されることになります。
7月5日から14日までのフェアディナント全損は19両に達しました。
12日ソ連軍の大反抗によってハーゲンラインへの後退を余儀なくされますが、7月14日から8月1日までの間にさらに20両のフェアディナントを全損喪失しています。
39両はほぼ1個大隊分の装備であり、8月26日ドニエプロペトロフスクへの後退と1回目の改修の際には654大隊(大隊の損害は29両と姉妹大隊よりも多かった)は先にも述べたように本国へ戻ることになります。

7月中の連隊のフェアディナントによる戦果は戦車502両、対戦車砲20門、野砲約100門でした。
戦車に比して、また他の装甲部隊の戦果に比して砲の撃破数が少ないことがこの車両の戦闘の様相を語っているように感じられます。パックフロントを蹴散らし、蹂躙していけたわけではないのですね。

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