i-modellers 5号 雄翼~珊瑚海の一矢

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不屈の翼~珊瑚海の一矢
  ダグラス SBDドーントレス ハセガワ 1/48

制作・写真・文章 moppu

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i-modellers 創刊一周年となる第5号の特集は「Wings of the Pacific war」、太平洋戦争の日米両軍の飛行機がお題となりました。個人的には飛行機はまともに作るのが今回でまだ4回目、実はとっても好きなジャンルなのですが、初心者を名乗るのもおこがましいほどの未熟であります、日本人にとってはにっくきドーントレスではありますが、へえ、こういう飛行機だったの、とお楽しみ頂けましたらうれしいです。


キットについて

p1.jpgp1.jpgキットはハセガワの1/48、実はこのキット以外にもダイブブレーキ(フラップ部分に穴のあいたもの)にエッチングパーツが採用された別キットがあるのですが、非常に難易度が高そうでしたので、敬遠しちゃいました。
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このキットは件のダイブブレーキは主翼と一体、切り離して開位置に組めるようにはなっていますが、すでにエッチングパーツで組んだ場合の精密さだけは見てしまった目にはただ開位置に組むのは気が引けます(笑)、そこでキットなりに組むことにしました。
プラパーツは数も多くなく、初心者以前にもとっつきやすい内容、キャノピーは開状態に組めるよう、分割されたパーツとなっています。

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デカール、塗装

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キットには大判のデカールが付属し、1942年珊瑚海海戦時空母ヨークタウン所属の第2偵察飛行隊所属機、ミッドウェイ海戦時の空母ヨークタウン所属の第5偵察飛行隊所属機、トーチ作戦参加の空母レンジャー所属の第41偵察飛行隊所属機の3種類のデカールが付属しています。
米海軍機の塗装は戦前、戦中と何度か塗装法と色を変更していますが、1941年開戦時から1942年中(43年1月からはトライカラーとなります)は上面ブルーグレー、下面ライトグレーの2色迷彩が標準となっていました。
3機はいずれもこの2色迷彩がテーマとなっています。
余談ですが、青地に白い星マークの中央に赤い小さな丸がある国籍マークは1942年5月、珊瑚海海戦まで使用された国籍マークで、実戦の結果赤い丸があることによって日本機のマークとの誤認識を避けるべく、すぐに消すように指示され、早くもミッドウェイ海戦ではこの小さな赤丸は消えています。
また、青い地の外側に黄色の縁取りがある国籍マークは1942年11月トーチ作戦に参加した機体に見られる味方識別のマークです。
(参考資料:モデルアート別冊「アメリカ海軍、海兵隊機の塗装ガイドno.1」、世界の傑作機no.40)


実機について

1941年12月、日本が対米開戦に踏み切ったとき、アメリカの主な艦載機は戦闘機にF4Fワイルドキャット、雷撃機にTBDデバステーター、爆撃機(偵察機を兼務)にはSBDドーントレス、とSB2Uヴィンディケーターがありました。
さすがにいずれも低翼、単葉、全金属製(一部は羽布張)ではありますが、ドーントレス以外はゼロ戦、97式艦攻、99式艦爆の我が国の艦載機トリオには見劣りする性能でした。
ドーントレスは原型のBT-1の初飛行が1935年、その後エンジンを換装したり各部の改良を施しながら海軍の主力急降下爆撃機として前線に配備され、真珠湾攻撃時にはSBD-3が使用されていました。
SBD-3は後席の機銃を7.7mm連装に替えたほか、機首の固定銃も12.7mm2門に強化、燃料タンクのゴム式への改良、エンジン、電装の強化など改良が施された機体で42年10月SBD-4(レーダーを搭載するなどさらに改良が図られた)が配備になるまでは太平洋戦争前半の主力艦上爆撃機で、のみならずほぼ同時期の米海軍航空隊の主役といってもいいかもしれませんね。
ドーントレスシリーズ中のもっとも優秀な機体は後のSBD-5、とされていますが、戦争後半の主力機はアヴェンジャー、ヘルダイバー、ヘルキャットという重く大きな機体へと交代し、ドーントレスは護衛空母などで補助的に使われるようになっていきました。

真珠湾攻撃に続く緒戦で、日本の空母機動部隊は西太平洋からインド洋の広い面積を席巻し、第一段の南方作戦を成功裡に終えました。
42年4月には空母ホーネットを発進したドーリットル隊の本土初空襲を受け、早期に米空母機動部隊を無力化することが防衛上の課題として残りましたが、既に42年初頭からは第2段作戦の準備が始まっていました。
第2段作戦では日本はニューギニアを攻略し、その後ソロモン諸島へ防衛線を延伸する計画でしたが、この方面ではアメリカの機動部隊も活発に活動し、日本の侵攻を許しつつも局面では抵抗し、日本軍の損害も無視できないものとなっていました。
ニューギニアの東南部に位置するポートモレスビーはその後の防衛線構築に際し、のど元に付きつけられた匕首であり、早期の攻略が望まれましたが、作戦はアメリカ空母部隊の反撃によって延期されていました。
43年4月いよいよ計画は実施され、連合艦隊は空母祥鳳を直援にポートモレスビー攻略部隊をラバウルから発進させました。同時に当時最新鋭空母であった瑞鶴、翔鶴2隻からなる第5航空戦隊を基幹とするMO機動部隊を派遣し、上陸艦隊の護衛とアメリカ空母機動部隊の出現に備えることとしました。
アメリカは既に日本軍の暗号解読に成功しており、日本の作戦を探知してすぐ空母ヨークタウン、レキシントンを派遣します。
珊瑚海はオーストラリアの北東に位置し、ニューギニアの東側面、ソロモン諸島(この島々の東の端の方にガダルカナルがある)の南に広がる海ですが、1942年5月、ここを舞台に史上初めて空母同士の戦いが起きました。
海戦史上初めて最初から最後まで艦船同士は互いの艦影をみることなしにただ航空機を飛ばしてのみ戦った海戦となったのです。

5月7日珊瑚海に展開した両機動部隊は互いに索敵機を飛ばしましたが、先に敵艦影を発見したのは日本軍でした。空母翔鶴の攻撃隊は直ちに発艦し、敵艦を沈めましたがこれは空母と誤認された油槽船ネオショーと駆逐艦でした。ほぼ同時期にアメリカも日本艦隊を発見し、MO攻略部隊に随伴していた空母祥鳳を沈めました。
祥鳳は太平洋戦争で失われた最初の日本の空母となりました。
それ以上の接敵に失敗した両軍は翌8日今度は互いの機動部隊の発見に成功し、日本側は空母レキシントンに魚雷を、ヨークタウンに爆弾を命中させ、その後レキシントンは沈没、ヨークタウンも損傷しました。アメリカ側も空母翔鶴を発見し(瑞鶴は幸運にもスコールに隠れていた)、攻撃を集中、損害を与えました。
日米互いに航空機の損害も少なくなく、日本側は瑞鶴が健在であったものの米空母の追撃を断念し、それぞれが戦場を去ることとなりました。
結果的に珊瑚海海戦では日米ともに空母1隻を喪失し、1隻が損害をこうむりましたが、正規空母レキシントンを失ったアメリカが戦術的には敗北、ポートモレスビー攻略部隊が引き返さざるをえず、当初の目的を果たし得なかった事実は日本の戦略的敗北、と評価されるのが一般的なようです。こののち日本軍は海路ポートモレスビー攻略を断念し、山越えに侵攻作戦を行いましたが、果たせませんでした。

余談ですが、翔鶴、瑞鶴の第5航空戦隊は珊瑚海海戦の損耗によってミッドウェイ海戦に参加できなくなり、一方このとき日本が打ち漏らしたヨークタウンは突貫工事のまま同海戦に参加、最後に残った飛龍に引導を渡したのがヨークタウン所属機であったことを考えるとこのときMO機動部隊が反転しヨークタウンにとどめを差していれば、と「たられば」を空想したくなります。

おおっと今回アタシは米軍機を作るんだった(笑)、気を取り直して、珊瑚海でもミッドウェイでも当時米海軍の有効打は多くがこの急降下爆撃機によるものでした、圧倒的な日本の機動部隊に立ち向かった、屈することのなかった平凡な傑作機を、珊瑚海のヨークタウン所属機をテーマに再現します。
(参考図書:「珊瑚海海戦」サンケイ出版、「海軍航空隊全史」(上)奥宮正武著朝日ソノラマ文庫版、世界の傑作機no.40など)



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